昨日那須から東京へ帰って来た。那須の自宅では経験したことのない震度6強の地震によって、20メーターほど庭を走る幅10センチの断裂が。外壁は崩落。ここをその時に通っていたら命を落とす可能性もあった。断水。2日間水なしで庭への散水用水(泥入りだが)でトイレを流した。風呂も入れず。2日出来る限り火や水を使わない食事で過ごした。こんなにおにぎりばかり食べたのは久々。

その後4時間半かけて東京に戻って来た。都心に近づくにつれてはっきりと被害が少ないことを実感した。東京で2日ぶりに風呂に入って、インド料理屋に行って美味しいご飯を堪能した。「美味い。被災者のことを考えたら贅沢」と自分で言ってから心に引っかかるものがあって、しばしした後にあっと思い出した。何日も前のネットの書き込みだ。

NZでの震災があり28人の安否について日本中が祈っていた2月24日に、MixiでSと名乗る人物(多分匿名)が「死んでるって全員死亡!これでいいっしょ」という書き込みがあった。「死んだ人数分だけ私の勝ち、生きている人数分だけ同僚の勝ち。 一人千円で賭けているんで頼むよww」とのこと。どうやら全員死亡を祈っている。

それに対し「実際に今クライストチャーチで被災しているものです。あなたたちは最低です。こちらでは未だに余震が引き続き、揺れが全く止まらない状況です。・・・(中略)遠い日本にいたら、人ごとになるのもわかります あなたたちみたいな最低な人がいることも承知しています・・・・それでもあなたのその人の生き死にを賭の対照にし、娯楽のように公共の場に書き上げる、デリカシーの無さ、常識のなさが許せません・・・祈るような気持ちで家族や友人の無事を祈っているひとがいることを・・・お知らせしたかった」という方の書き込みがあった。

その書き込みに対して「J」という方(またも匿名)が「電気も水道も止まっているのにネットは通じてるんですねww そして被災しているのにミクシィやってるなんて、これっぽっちも緊迫感が伝わらず、拍子抜けしてしまいました(笑) まあ、せいぜい苦しんでください♪ 私は安全なところから。苦しんでいる人間を見ると、安全であることに心から感謝できるんですよ♪ ワッハッハ」と応じた。このページはその後Mixiから削除されて今は見ることが出来ない。私はそのページイメージを保存しているURLを探し出して見た。

暗澹たる気持ちになった。ここまで人は匿名であると残酷、卑劣になれるのか。この方達は今現在、また友人と賭け事をし、高見の見物とばかり「安全」を謳歌しているのだろうか?それとも多少なり被災して「あのときの自分は間違っていた」と悔やんでいるだろうか?

一方WEBには今回の震災で下記URLにあるように、涙が止まらなくなるくらいの言葉が溢れている。日本人の美しい行動をとらえてそれを共有しようとしている人たちもいる。

http://prayforjapan.jp/tweet.html

私は海外から友人より直接電話があり安否確認された。また、フェースブックを通して数多くの友人から無事を祝って貰った。海外からのメッセージはどれも「これだけひどい状態で、パニックも暴動も略奪も起きない。尊敬すべき国だよ!頑張れ!」といったものだった。ありがたかった。人の痛みに対しては素直に悲しみ、励まそうという気持ちは、こんな時は、滋味があり癒される。

以前仏教関係の方と話をしていたら、その方は「人の魂は輪廻転生を経て、この世で与えられた試練を越えることで更に高みに向かってゆっくり成長していくものである」と仰った。特定の宗教を持たない私にも納得感があった。

那須と東京の間に災害を実感し、そこから離れ、TVで目を覆うような場面を見て、暖かく美味しいご飯を食べた。恥ずべきことかもしれないが、この状態を幸せと感じた。人の心には良きものと悪しきものが混在する。通常まったくの白か黒かではなく、その間の端境で状況に応じて揺れている。経験しないと学習出来ないことも多いし、その経験から知恵を授かることもある。

同情や優越感でなく、自分が出来ることは何かを考えている。この文章もそのうちの1つ。今後、人を教えるという私の仕事のなかで、心打たれる経験をしていない人に対して、何を、どう伝えるべきか?を考えている。 私は私がすべきことをする。

望むらくは、この厳しい経験を経て日本人だけでなく世界中の人が学び、人の魂はより良い未来を求めて成長してほしい。